Laineema デジタルハードウェア徹底レビュー

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    カテゴリ:その他 > 経営・政治・経済

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    Laineema Paradigm Purge


    このところ会社も経費削減のためPCの調達を中古に頼ることがほとんどとなってきまました、PCに詳しいので調達係に勝手になってますがソフトのインストール等の調整や導入後のメンテナンスまで請け負っていたりするカスタマエンジニアにもなりつつあります。
    そんな中でこのたびPCの調達を頼まれネットで探していたのですが中古PCの品揃えが悪くなってきているのが感じ取れます、だいたいどの業種でも狙い目となる事務作業で実用十分な程度の能力の中古PCが数量的にも機種の豊富さでも少なくなってきている状態です。
    景気が良くなってきたと言うものの実際のところ景気は回復してきていない結果の一つがコレじゃないかなと思ってたりします、高速道路で出会うとトラックの数も前に比べるとすぐに分かるぐらい減ってきて結構当たっているような気がします。
    ただ今回の記事の題名「真実≠事実=理想≠現実」に照らし合わせると「日本全体としては景気が良くなって来ました」すなわちコレ真実、しかし「全ての地域で良くなったわけでなく私の住んでいるところみたいにまだ悪いところもありますよ」というのがすなわちコレ事実というところではないでしょうか。

    では今回の題名の残りの理想≠現実の部分についてですが、現在会社の定例イベントを実施するに当たり主導権を本部へ持ってくるほうが良いという話が上がり、私自身今後の展開を考えたとき悪い話ではないと思いました、ただ何故そうする必要があるのかという点については横槍が入るとか指令系統がうまく機能しないといった部分が主導権を渡せば良くなるという考えが含まれているのでその点は気にくわないところで、理想はそうであっても現実は違うというところを認識しているのだろうかと・・・、イベントを取りまとめる部署があり的確な指令のもと実働部隊が動くのが理想です、しかし出来ていない現状があるのを無視して指令系統が移ったとしても首がすげ変わっただけで何も変わらない現実がそこにあるだけではないでしょうか?それを任せたいといってYesなんて言うわけ無いです、任せられる部署の仕事枠からも外れている部分があります。
    しかしながら最初に考えるのは「組織がどうしたら良くなるか」という点ですので受けるなら関連部署に条件を提示して飲めないならハッキリ断ることになるでしょう、飲めないままやっても首がすげ変わっただけで状況は悪くなるばかりで最悪イベントをやめればいいと投げ出し本末転倒になってしまうでしょう。
    そもそも組織の上の側の人がいるのでそちらに相談するのがまず先だとおもうのですが・・・。
    個人的には能力不足の責任だけを取らされる名ばかり責任者の気持ちになって考えて頂きたいものです。

    まぁ愚痴はコレまでということで理想と現実すなわち真実と事実は同じことをいっているのではないのかなということです、理想があっても事実を無視すると理想主義者となってしまいますし、真実がそうであっても事実はそこにないことは多々あります、現実と事実を無視せずそれらをしっかり認識した上で理想と真実を追いかけたいものです。

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    日本は民主主義でしょうか社会主義でしょうか?

    答えは人によってまちまちだと思いますが私は民主社会主義ではないかと思います、ところが人によっては社会主義と言う方もいるそうです。
    社会主義と言えば代表的なのは共産主義です、これは大雑把に言うと「平等」を理想と掲げそのためなら武力を辞さないという考えです、しかしながら平等というものを考えたときそれはプラスになるのかマイナスになるのかを考えてみましょう。

    平等というのは競争がないということです、競争が無ければ良い物は出来ません、勝ち負けのない世界で生まれたものが世界で通用しないのは資源しか出せる物がない現在のロシアを見てみると分かると思います(技術をソ連時代に兵器に傾けたのも原因ですが)、民生工業品はレベルが低くまるで昭和のような車を未だに生産しています。
    これを見てこのままでは国が傾くと思ったベトナムや中国は経済だけを資本主義として経済自由化に踏み切り、国が傾くのを阻止しました、すなわち彼らは社会資本主義と表現できるのではないでしょうか。
    そうなれば国民は経済が自由化したらなら自由に商売ができ、そこにチャンスがあると考え経済はより活性化するでしょう、それは平等という物の中に平等を否定する=競争を許す領域が出来たと捉えられます。

    一方日本はどうでしょうか、日本は平等と表現する人がいます、例えば極端な金持ちがいませんし貧乏人と言われる人たちが世界一豊かな貧乏人と言われています、確かに平等かも知れません、しかし先ほど言ったように平等は競争を否定することになります、これは国民性に表れていますが金持ちを妬んだり、才能がある人間を引きずり下ろそうとする悪い習慣が日本にはあり、特にネットが盛んになって匿名で発言できることによりハッキリとこの考え方が表面化してきました、これは努力をせずに引きずり落として皆平等になろうとすることです、日本の平等がいつの間にかこういう低きに平等になってきているように感じます、「出る杭は打たれる」と昔から言われることからこの考えは昔から染みついているのではないのでしょうか。

    こうなった場合に何が起こるのかを掘り下げてみましょう。

    低きに平等出る杭を打つ=チャンスをものにしようとする人間を否定=チャンスをものにしようとする人間を陥れる=チャンスが無くなる=チャンスを手に入れようとチャレンジする意欲が薄れる=チャンスがどんどん無くなる=そこで生まれたかも知れない新しい技術や知識が生まれなくなる=新しい技術や知識が生まれなくなって市場で勝てなくなる=経済が衰退する=やがて見向きもされない=みんな貧乏と言う点で平等=税収は減るので年金や生活保障がどんどん削られる=住みにくい日本
    貧乏という点で平等になりましたがこれが幸せですか?

    今はグローバル経済ですから世界が市場です、資源があればまだいいですが日本には何がありますか?石油ですか?鉱石ですか?資源なんてものは日本には無いのです、だから新しい技術や知識を売りにしないと世界という市場では見向きもされません、そのためにはこのチャンスをものにするためにチャレンジするということを決して否定してはいけません、それは未来が先細りする以外の何でもないのです。
    では何で日本は世界経済第2位になってるんだよ?と思われるかも知れませんが現状をよく見てください、2位から今にも滑り落ちそうで、すでに大英帝国世界最高伝説の崩壊と似たようになってきているのを感じませんか?
    ウォークマンはiPodに取って代わられましたし、車はトヨタグループ以外軒並み外資に握られています、あのPC-98は一掃されました、この頃ニュースを賑やかにする元気の良い会社は外資じゃありませんか?
    もう輝かしい80年代の日本は今ここにはないのです。

    では日本に未来はないのか?答えはノーです、先ほども言いましたが日本にはまだ技術があります、工業製品を作る場合その製造技術や製造機械は高度な技術が必要ですが日本はこれを売りとすることが可能ですし今もこれをやっています、技術を押さえておけば「重要部分の部品だけは日本が作ったものでないと使えない」、「製造ラインで使う機械は日本製でないと要求に耐えられない」となり、それが売り物としての魅力になります、しかし一回世の中に出た技術は皆が知ってしまいますから直ぐにそれと同じような物や同じ事が出来るものが出てきます、そして行き着くは価格戦争となります、だから常に最新の技術で先を先を見据えて開拓していかなければ勝つことが出来ません。
    しかし先ほどのような低きに平等の考え方では技術を生む人間を妬みますからこの先どんどん技術が生まれなくなるでしょう。

    もっと身近に感じてもらうため「日本=会社」で表現してみましょう、「国民=部署」と置き換えることになります、低きに平等となると、「他の部署が新しい技術で利益を上げたので悔しい、仕事の邪魔をしてやろう」、「沢山利益が出た部署には絶対に商品を渡さないぞ」、「効率の良い仕事方法がみつかったが他の部署は邪魔しかしないから腹が立つ、よし秘密にしておこう」となります、この会社が経営できると思いますか?
    低きに平等とはこういうことです。

    では平等でない場合はどうでしょうか。
    競争のある社会出る杭がもっと伸びる=チャンスをものにしようとする人間を肯定=チャンスをものにしようとする人間を伸ばそうとする=チャンスが大きくなる=チャンスを手に入れようとチャレンジする意欲が沸き上がる=チャンスがどんどん生まれる=そこに新しい技術や知識が生まれる=新しい技術や知識のおかげで市場で勝てる=経済が活性化=みんなから期待され注目される=チャンスを得た人間は利益を得る=お金持ちが多くなる=税収が増える=恵まれない人への福祉が向上、失敗しても復帰するための生活保障も向上
    とても不平等になりましたがこれが不幸せですか?

    先ほどの「日本=会社」にも当てはめてください、沢山の相乗効果や知識や技術の共有が発生し会社の経営は良くなると思いませんか?

    もう答えは見えましたね、資本主義は競争の世界ですから平等とは相容れません、しかし平等であることを完全に否定すべきでは無いと私は考えます、社会保障だけは平等であるべきと私は考えます、しかしその社会保障の平等のレベルの高い低いを決めるのは沢山成功する人間が出る社会かどうかにかかっています。

    もはや企業では日本に未来がないと感じ始めています、日本を見捨て海外へ出る会社、外資は投資を引き上げ、日本人はやる気がないから安い賃金でやる気のある外国人を雇用する、日本での商売を縮小し他の国で勝負する、起業は税金の安い海外で等という話がこの頃飛び込んで来ています。

    もう低きに平等という考え方は辞めませんか、出る杭を伸ばせばその人達が勝手に稼いでくるんです、一緒に手伝えばもっと効率よく稼いでくるんですよ、会社(日本)の経営(景気)も良くなり自分(国民)の収入も増えると思わないですか、その人を妬んで足を引っ張ればその利益は無いどころかマイナスになる可能性だってあるんです、それで満足ですか?

    ちなみにおよそその人が話す物事がその人の器の大きさという考え方がありますが、私は日本とここで言っています、それが私の今の器の限界だと思います、もっと器の大きい人は世界のためにと言っているでしょうね、まだまだそれが理解できないのと言うことは自分の器はまだまだ小さいということですね。

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    エイプリルフールネタでiPhoneOSでFlashが使えるようになりましたなんてネタがゴロゴロしているほど業界では大きな波紋を呼んでいるFlash問題、何故このような事態が起こっているのか?今回はこの件について語ってみたいと思います。

    およそAdobeといえば専門分野、DTM・DTP・DTV等の分野で開拓をしてきた会社です、業界標準と言われるまでとなった各種商品はできることの幅が大きく思うことが表現できるすばらしい物が用意されています。
    PDFはすでに電子書類のデファクトスタンダードとなり開けないなんて連絡が来ようものなら遅れてるねぇと言われるまでになりました。
    その中においてWebページにおける動きのあるコンテンツを開拓し今ではFLVとして動画のコンテナファイルとまでになりWebにおけるムービープレイヤーのデファクトスタンダードまでに登り詰めたFlashを何故Appleは否定するのか?私はHTML5がその答えだと思います、Flashは動画のコンテナとしてみたとき、それはそれは不出来で効率が悪くGPUによるハード再生支援機能も最近になって搭載されました、しかも万全という物でもなく環境によっては性能が十分あるのにカクカクする場合があり誉められたものではないという現状があります、そこで同じ事が出来る環境はFlashしかないのか?と考えたときHTML5が出てきます、目的はFlashと同じことをするとして、手段をHTML5にする利点をAppleは以下の点から見いだしたのではないかと思います。

    HTML5はFlashで実現できたことと同じことが出来る。

    HTML5はオープンであり業界が集まって作っているため会社の都合で仕様を変更できない。

    HTML5は世界標準規格となるものでブラウザは遅かれ早かれHTML5に対応する。

    HTML5に対応したブラウザは沢山のデバイスに搭載される、PCやiPhone、iPad=IIOMMD(Information Input Output Mobile Medea Device インフォメーション・インプット・アウトプット・モバイル・メディア・デバイス)、携帯電話、ゲーム機、TV等、そこにFlashの機能追加やプラグインは必要ない。

    この予想から見るとAppleの製品を今後も使っていこうと考える人に明るい未来を提案していると私は感じました、今は不便かも知れないが未来はみんな幸せになれるから付いてこいとAppleは提案しているのです。
    Adobeもそれを汲み取ったのかAppleに対する苦肉の策かFlash広告をHTML5にしてiPhoneに流す技術を公認したとの話を今日見ました、この話を聞いたらスティーブ・ジョブズは笑いながら分かってきたじゃないかなんて言ってそうですね。

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    Laineema Paradigm Purge


    管首相によりずいぶん内閣の雰囲気が良くなったように感じます、不思議な物です、しかしダメージはしっかりと残っており鳩山前首相が首相になったときよりも初発の支持率は落ちています、民主党に対する不信感が少しづつではあるが蓄積している結果だと私は思います。

    過去の記事で取り扱ったテーマ「未来への提案」が管氏から出る可能性は低いと思っています、何故か、政治家であるためには票を獲得し議席を獲得しなければなりません、次に党を考えたときは与党であることの意味は計り知れませんから大量の票をどうやって集めようかと考えます、そのとき有権者が多く投票率が多い年齢層を狙いそこに魅力的に思ってもらえるように訴えれば大量の票があつまると思いませんか。
    そこには団塊の世代や高齢者といった先の短い人生の人たちが当てはまります、人は誰しも自分本位の生き物です自分たちの先が短いため未来のことより目先のことしか考えません、その人たちの話を聞き、その人たちのための政策を打てば票が大量に獲得できると私は思っています。
    その傍らで少数派である若い人たちは何故私たちの話を聞いてくれないのだろうか?と思い、あげく選挙をしても日本の未来は変わらない、選挙に行っても意味がないと思うのは至極当然であると思います、若い人の投票率の低さは政治に興味がないのではなく政治自らが興味を削いだ結果だと私は思っています、挙げ句の果てには成人式で選挙に行こうというDVDが配られたといって動画が公開されましたがあれで選挙に行くと思ってる人が何人いるのかと問い詰めたいですね、むしろそれを加工しMADを生み出した方が選挙に行こうという意欲を沸きたてる内容となってしまっているのはお粗末過ぎると思います。



    では若者に可能性は無いのかというとそうでもないと思います、今現在若者のことを本気で聞いて本気で未来を提案しようとしている人を私は知りません、すなわちそれをするということは非常に目立つということです、何にもまして全ては認知してもらうことから始まりますので特異という点はPRに繋がります、ただし従来の党でそれをやっても効果は薄いと判断します、古い考えのものと認識されている枠の中に入っているとその中のもの全てが古いものだと認識されてしまうと考えますので、そこはどの党ともかかわりのない新党を立ち上げてアピールすることで一定の認知と新鮮さを感じ取ってもらえるのではないでしょうか、もちろん政策は若い人の未来を提案することです、目の前のことなどいっそ古い議員にでも任せておき、若い人のため日本の10年20年30年先の未来を考え政策を打ち出して伝えればそこに可能性があると思います、「若葉の党」とか「若者党」という党名でいかがでしょうか?
    名前はともかくそのような内容を実行する議員や党に私は真っ先に票を投じたいと思います。

    議員や議員を目指しているかた、若者の未来を嘆き改善の方法を模索している方々、この提案いかがでしょうか?




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