Laineema デジタルハードウェア徹底レビュー

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    2010年06月

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    Laineema Paradigm Purge


    結果をより良い方向へ持っていくために必要なものはSPDCAサイクル(Sは調査)のS(調査)の時点での情報の確かさとP(計画)におけるときの発想と知識の質と量・手段の質と量が重要と考えます、DCAにおいてもおよそ同じことは言えると思います(DCAは今回省略)。
    そして究極は先立つものです、これがないと良い発想も沢山ある手段も自ずと絞り込まれ危ない橋を渡る可能性が高くなります(会社は体力作りが重要)。

    ではこの情報の確かさ、発想・知識の質と量が多くなるためにはどうすればいいのか?私は会社の風通しを良くする事だと考えます。
    会社の風通しの良さとはどのような役職にあろうと、どのような仕事にしていようとも発言を認められ、それがきちんと汲み取られる会社と言うことです、例えば「今後問題となる物事があり何か改善案が浮かんだときに上司が話を聞いてくれない」となったらあなたは今後も上司に話をしようと思いますか?普通でだったら今与えられている仕事の範囲内の話しかしようと思わなくなりますよね、改善しようと考えた発想がそこで止まります、これが俗に言う会社の「壁」や「溝」と言われる部分です。
    役職間や部署間や人間間に沢山の「壁」や「溝」があればあるほど風通しは悪くなります、経営陣に話が届かなくなり、結果物事を決める判断材料、すなわち情報が不確かなものとなりそれに基づき物事を決定するした場合現場はどう思いますか?「何でこんな決定をするんだこれじゃ仕事にならない」とか、「現場を見てないやつが勝手に決めて」なんて事が起こってきます、これが続くと経営陣と社員の間に「壁」や「溝」ができ会社の能率がますます下がります。
    では誰がこれを改善する事が出来る立場にあるのでしょうか?答えは経営者です、経営者が全てにおいて実権を握っているのです。
    ではこのようになった場合どうすればいいのか?私はできるなら経営者が本気になって社員一人一人に話を聞いてみるのが良いと思います、人が多いなら社員と経営者の直通メールや掲示板(匿名での発信が出来る物が良いかも?)で現場の意見をしっかり汲み取り解決していくことです。
    社員は与えられないとこれが出来ません、例えば上司を飛び越して直談判しようものならあなたの上司は良い顔をすると思いますか、何で俺を飛び越して上に話なんかしたんだ!って怒られると思いますし怒らなくてもこいつは信用ならんとか思われ益々「壁」や「溝」が大きくなるばかりです。

    ここで題名の「受動的であるか、能動的であるか。」にようやく触るのですが、人は受動的であると「出来ない理由を考えます」最後は自己批判になり人生に落胆します(前の私がまさにこれ)、逆に能動的だと「出来る理由を考えます」最後は自身へと繋がります(今の自分がこれ)、そして自信が付けば何でもやろうとする気持ちが生まれますので沢山の知識を取り込むことに熱心になります。
    風通しが良い会社では能動的な人間がより能動的に働けます、そこで会社がよりよい質の知識を与えれば良いのです彼らは喜んで吸収しようとします、逆に風通しが悪い会社では能動的な人間はどこにも価値を見いだせず出ていくか自身を喪失し受動的になります、これを組織が人を殺すと私は言っています。

    ここで人が生まれ持って能動的か受動的かという部分を考えておく必要がありますのでこの点に触れておきますが、およそよく言われる比率2(常に能動的):6(中間的):2(常に受動的)にあてはまると思います。
    会社の風通しがよければ能動的人間が切磋琢磨しそれにつられ中間的な人間がついて行きます、逆に風通しが悪いと受動的な人間がダラダラしてそれにつられ中間的な人間も怠け始めます。

    では一社員からみて風通しが悪い会社にいた場合どうすればいいのか?ですがこれは経営者次第ですから経営者のやる気を出させねばなりません(辞任覚悟で直談判や直に連絡を取って訴える)、それが見込めないなら辞めてさっさと風通しの良い会社に移る方が未来幸せになること間違いないと判断します、そのような会社に未来はありません(会社の風通しが悪い場合、経営者自身に問題があるのを経営者が理解していない場合が多い)。
    人は能動的であればあるほどより良く前向きに生きていけます、能動的であろうとするなら強い想いが必要ですがそうなるのは難しく書いても理解できるレベルではありません、では能動的にあろうとするなら能動的になれる環境に身を置くべきです、ということで私の思う能動的な人が能動的でありつづける会社例を書いておきます。

    能動的な人が能動的でありつづける会社例

    ●議論する場がきちんとある
    ●そこに役職や部署は関係ない環境なっている
    ●経営陣が自分たちの意見を汲み取っていると感じさせる会社決定を下だしている
    ●上司が仕事や仕事の分野外に理解力がある
    ●適切な人事が出来ている
    ●きちんとステップアップが見えそれが出来る環境
    ●本当にダメなことだけを叱り、良いことは沢山誉めるくれる
    ●前向きなことをやって失敗しても前向きな部分を否定されない
    ●会社の経営方針や計画が末端まで伝わってる

    他にもあると思いますがさらっと上げてみました、どうでしょうか?この環境なら発言出来ると思いませんか?

    経営者、社員どちらの視点で見るも自由です、しかしこれだけは確かなことがあります会社は「人」が動かすものということを。
    人が効率よく動けば会社の効率が上がり、より良い発想が沢山出てくればその中に驚くような新製品や新製法が生まれる可能性があるのです。

    誰が決めるのか?全ては経営者です。

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    エイプリルフールネタでiPhoneOSでFlashが使えるようになりましたなんてネタがゴロゴロしているほど業界では大きな波紋を呼んでいるFlash問題、何故このような事態が起こっているのか?今回はこの件について語ってみたいと思います。

    およそAdobeといえば専門分野、DTM・DTP・DTV等の分野で開拓をしてきた会社です、業界標準と言われるまでとなった各種商品はできることの幅が大きく思うことが表現できるすばらしい物が用意されています。
    PDFはすでに電子書類のデファクトスタンダードとなり開けないなんて連絡が来ようものなら遅れてるねぇと言われるまでになりました。
    その中においてWebページにおける動きのあるコンテンツを開拓し今ではFLVとして動画のコンテナファイルとまでになりWebにおけるムービープレイヤーのデファクトスタンダードまでに登り詰めたFlashを何故Appleは否定するのか?私はHTML5がその答えだと思います、Flashは動画のコンテナとしてみたとき、それはそれは不出来で効率が悪くGPUによるハード再生支援機能も最近になって搭載されました、しかも万全という物でもなく環境によっては性能が十分あるのにカクカクする場合があり誉められたものではないという現状があります、そこで同じ事が出来る環境はFlashしかないのか?と考えたときHTML5が出てきます、目的はFlashと同じことをするとして、手段をHTML5にする利点をAppleは以下の点から見いだしたのではないかと思います。

    HTML5はFlashで実現できたことと同じことが出来る。

    HTML5はオープンであり業界が集まって作っているため会社の都合で仕様を変更できない。

    HTML5は世界標準規格となるものでブラウザは遅かれ早かれHTML5に対応する。

    HTML5に対応したブラウザは沢山のデバイスに搭載される、PCやiPhone、iPad=IIOMMD(Information Input Output Mobile Medea Device インフォメーション・インプット・アウトプット・モバイル・メディア・デバイス)、携帯電話、ゲーム機、TV等、そこにFlashの機能追加やプラグインは必要ない。

    この予想から見るとAppleの製品を今後も使っていこうと考える人に明るい未来を提案していると私は感じました、今は不便かも知れないが未来はみんな幸せになれるから付いてこいとAppleは提案しているのです。
    Adobeもそれを汲み取ったのかAppleに対する苦肉の策かFlash広告をHTML5にしてiPhoneに流す技術を公認したとの話を今日見ました、この話を聞いたらスティーブ・ジョブズは笑いながら分かってきたじゃないかなんて言ってそうですね。

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    管首相によりずいぶん内閣の雰囲気が良くなったように感じます、不思議な物です、しかしダメージはしっかりと残っており鳩山前首相が首相になったときよりも初発の支持率は落ちています、民主党に対する不信感が少しづつではあるが蓄積している結果だと私は思います。

    過去の記事で取り扱ったテーマ「未来への提案」が管氏から出る可能性は低いと思っています、何故か、政治家であるためには票を獲得し議席を獲得しなければなりません、次に党を考えたときは与党であることの意味は計り知れませんから大量の票をどうやって集めようかと考えます、そのとき有権者が多く投票率が多い年齢層を狙いそこに魅力的に思ってもらえるように訴えれば大量の票があつまると思いませんか。
    そこには団塊の世代や高齢者といった先の短い人生の人たちが当てはまります、人は誰しも自分本位の生き物です自分たちの先が短いため未来のことより目先のことしか考えません、その人たちの話を聞き、その人たちのための政策を打てば票が大量に獲得できると私は思っています。
    その傍らで少数派である若い人たちは何故私たちの話を聞いてくれないのだろうか?と思い、あげく選挙をしても日本の未来は変わらない、選挙に行っても意味がないと思うのは至極当然であると思います、若い人の投票率の低さは政治に興味がないのではなく政治自らが興味を削いだ結果だと私は思っています、挙げ句の果てには成人式で選挙に行こうというDVDが配られたといって動画が公開されましたがあれで選挙に行くと思ってる人が何人いるのかと問い詰めたいですね、むしろそれを加工しMADを生み出した方が選挙に行こうという意欲を沸きたてる内容となってしまっているのはお粗末過ぎると思います。



    では若者に可能性は無いのかというとそうでもないと思います、今現在若者のことを本気で聞いて本気で未来を提案しようとしている人を私は知りません、すなわちそれをするということは非常に目立つということです、何にもまして全ては認知してもらうことから始まりますので特異という点はPRに繋がります、ただし従来の党でそれをやっても効果は薄いと判断します、古い考えのものと認識されている枠の中に入っているとその中のもの全てが古いものだと認識されてしまうと考えますので、そこはどの党ともかかわりのない新党を立ち上げてアピールすることで一定の認知と新鮮さを感じ取ってもらえるのではないでしょうか、もちろん政策は若い人の未来を提案することです、目の前のことなどいっそ古い議員にでも任せておき、若い人のため日本の10年20年30年先の未来を考え政策を打ち出して伝えればそこに可能性があると思います、「若葉の党」とか「若者党」という党名でいかがでしょうか?
    名前はともかくそのような内容を実行する議員や党に私は真っ先に票を投じたいと思います。

    議員や議員を目指しているかた、若者の未来を嘆き改善の方法を模索している方々、この提案いかがでしょうか?

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    この秋に展開予定のGoogleTVについてですが、AppleTVが失敗したのにまたやるのとお思いの方が沢山いると思います、私もその中の一人ですが理由としてはGoogleTVにはiPadのような革新的と思える部分がなくGoogleの蓄積されたものに頼ってる感が非常にします。
    但しこのような動きが目立ってきたということは少なくともそこにそれを実現できる土台と環境が揃っているということです、iPadのように革新的な部分を見せつけることに成功した会社がこの新しいメディア界の勝ち馬になると確信しています。

    すでにTVというメディアについてはインターネットという概念と溶け込み、境界線が前にも増して曖昧になり混合して新しい物が生まれる時期にあると私は思っています、特にYoutubeに始まりニコニコ動画のような新しいコミュティの取り方が可能となっている今、誰もが放送局を立ち上げ世界中の誰にでも自分の考えや思ってることを展開できる時代になっているということをもっと認識した方が良いのではないかと思います。(すでにその動きを受けWebカメラの高性能化に拍車がかかっています、未来に向けシェアは拡大していくので業界の人はさっさと身を乗り出しませんか?)
    それはインフラの整備が出来たので電波なんか使わなくてもインターネット網を使った通信で全て補うことが出来るという考えが今にも実現できる環境にあるということです、考えてみてください確かに今GoogleTVが出来ることは一部のTVでもできますよね?でもそれを出来る環境にしているのは背面にインターネットに繋がるLAN端子が刺さっているからだと思いませんか?
    メディア関係者の方は莫迦な話をしおてってと思ってるかも知れません、では今あなた関係している局が放送しているCMを思い出してみてください、「続きはWebで」「検索窓に検索文字列」「インターネット生まれの会社のCM」が出ている現状を見て何も感じることができませんか、すでにゆっくりではあるがシフトがはじまっていると。

    この10年内に電波側の団体が「世界に発信し誰でも見ることができる、それは公共放送にあたり免許を必要とすべき」と言い出すと確信しています、そこが終わりの始まりです。




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