日本は民主主義でしょうか社会主義でしょうか?
答えは人によってまちまちだと思いますが私は民主社会主義ではないかと思います、ところが人によっては社会主義と言う方もいるそうです。
社会主義と言えば代表的なのは共産主義です、これは大雑把に言うと「平等」を理想と掲げそのためなら武力を辞さないという考えです、しかしながら平等というものを考えたときそれはプラスになるのかマイナスになるのかを考えてみましょう。
平等というのは競争がないということです、競争が無ければ良い物は出来ません、勝ち負けのない世界で生まれたものが世界で通用しないのは資源しか出せる物がない現在のロシアを見てみると分かると思います(技術をソ連時代に兵器に傾けたのも原因ですが)、民生工業品はレベルが低くまるで昭和のような車を未だに生産しています。
これを見てこのままでは国が傾くと思ったベトナムや中国は経済だけを資本主義として経済自由化に踏み切り、国が傾くのを阻止しました、すなわち彼らは社会資本主義と表現できるのではないでしょうか。
そうなれば国民は経済が自由化したらなら自由に商売ができ、そこにチャンスがあると考え経済はより活性化するでしょう、それは平等という物の中に平等を否定する=競争を許す領域が出来たと捉えられます。
一方日本はどうでしょうか、日本は平等と表現する人がいます、例えば極端な金持ちがいませんし貧乏人と言われる人たちが世界一豊かな貧乏人と言われています、確かに平等かも知れません、しかし先ほど言ったように平等は競争を否定することになります、これは国民性に表れていますが金持ちを妬んだり、才能がある人間を引きずり下ろそうとする悪い習慣が日本にはあり、特にネットが盛んになって匿名で発言できることによりハッキリとこの考え方が表面化してきました、これは努力をせずに引きずり落として皆平等になろうとすることです、日本の平等がいつの間にかこういう低きに平等になってきているように感じます、「出る杭は打たれる」と昔から言われることからこの考えは昔から染みついているのではないのでしょうか。
こうなった場合に何が起こるのかを掘り下げてみましょう。
低きに平等=出る杭を打つ=チャンスをものにしようとする人間を否定=チャンスをものにしようとする人間を陥れる=チャンスが無くなる=チャンスを手に入れようとチャレンジする意欲が薄れる=チャンスがどんどん無くなる=そこで生まれたかも知れない新しい技術や知識が生まれなくなる=新しい技術や知識が生まれなくなって市場で勝てなくなる=経済が衰退する=やがて見向きもされない=みんな貧乏と言う点で平等=税収は減るので年金や生活保障がどんどん削られる=住みにくい日本
貧乏という点で平等になりましたがこれが幸せですか?
今はグローバル経済ですから世界が市場です、資源があればまだいいですが日本には何がありますか?石油ですか?鉱石ですか?資源なんてものは日本には無いのです、だから新しい技術や知識を売りにしないと世界という市場では見向きもされません、そのためにはこのチャンスをものにするためにチャレンジするということを決して否定してはいけません、それは未来が先細りする以外の何でもないのです。
では何で日本は世界経済第2位になってるんだよ?と思われるかも知れませんが現状をよく見てください、2位から今にも滑り落ちそうで、すでに大英帝国世界最高伝説の崩壊と似たようになってきているのを感じませんか?
ウォークマンはiPodに取って代わられましたし、車はトヨタグループ以外軒並み外資に握られています、あのPC-98は一掃されました、この頃ニュースを賑やかにする元気の良い会社は外資じゃありませんか?
もう輝かしい80年代の日本は今ここにはないのです。
では日本に未来はないのか?答えはノーです、先ほども言いましたが日本にはまだ技術があります、工業製品を作る場合その製造技術や製造機械は高度な技術が必要ですが日本はこれを売りとすることが可能ですし今もこれをやっています、技術を押さえておけば「重要部分の部品だけは日本が作ったものでないと使えない」、「製造ラインで使う機械は日本製でないと要求に耐えられない」となり、それが売り物としての魅力になります、しかし一回世の中に出た技術は皆が知ってしまいますから直ぐにそれと同じような物や同じ事が出来るものが出てきます、そして行き着くは価格戦争となります、だから常に最新の技術で先を先を見据えて開拓していかなければ勝つことが出来ません。
しかし先ほどのような低きに平等の考え方では技術を生む人間を妬みますからこの先どんどん技術が生まれなくなるでしょう。
もっと身近に感じてもらうため「日本=会社」で表現してみましょう、「国民=部署」と置き換えることになります、低きに平等となると、「他の部署が新しい技術で利益を上げたので悔しい、仕事の邪魔をしてやろう」、「沢山利益が出た部署には絶対に商品を渡さないぞ」、「効率の良い仕事方法がみつかったが他の部署は邪魔しかしないから腹が立つ、よし秘密にしておこう」となります、この会社が経営できると思いますか?
低きに平等とはこういうことです。
では平等でない場合はどうでしょうか。
競争のある社会=出る杭がもっと伸びる=チャンスをものにしようとする人間を肯定=チャンスをものにしようとする人間を伸ばそうとする=チャンスが大きくなる=チャンスを手に入れようとチャレンジする意欲が沸き上がる=チャンスがどんどん生まれる=そこに新しい技術や知識が生まれる=新しい技術や知識のおかげで市場で勝てる=経済が活性化=みんなから期待され注目される=チャンスを得た人間は利益を得る=お金持ちが多くなる=税収が増える=恵まれない人への福祉が向上、失敗しても復帰するための生活保障も向上
とても不平等になりましたがこれが不幸せですか?
先ほどの「日本=会社」にも当てはめてください、沢山の相乗効果や知識や技術の共有が発生し会社の経営は良くなると思いませんか?
もう答えは見えましたね、資本主義は競争の世界ですから平等とは相容れません、しかし平等であることを完全に否定すべきでは無いと私は考えます、社会保障だけは平等であるべきと私は考えます、しかしその社会保障の平等のレベルの高い低いを決めるのは沢山成功する人間が出る社会かどうかにかかっています。
もはや企業では日本に未来がないと感じ始めています、日本を見捨て海外へ出る会社、外資は投資を引き上げ、日本人はやる気がないから安い賃金でやる気のある外国人を雇用する、日本での商売を縮小し他の国で勝負する、起業は税金の安い海外で等という話がこの頃飛び込んで来ています。
もう低きに平等という考え方は辞めませんか、出る杭を伸ばせばその人達が勝手に稼いでくるんです、一緒に手伝えばもっと効率よく稼いでくるんですよ、会社(日本)の経営(景気)も良くなり自分(国民)の収入も増えると思わないですか、その人を妬んで足を引っ張ればその利益は無いどころかマイナスになる可能性だってあるんです、それで満足ですか?
ちなみにおよそその人が話す物事がその人の器の大きさという考え方がありますが、私は日本とここで言っています、それが私の今の器の限界だと思います、もっと器の大きい人は世界のためにと言っているでしょうね、まだまだそれが理解できないのと言うことは自分の器はまだまだ小さいということですね。

