宣伝記事ビジネスモデルは崩壊?
私がブログを立ち上げたときの初期からのリンクに入れさせているGIGAZINEさん、その編集長である山崎恵人氏が書いた「未来への暴言」が販売されたとありさっそく買ってみました、実は私は本なんて殆ど読まない性格で電子書籍になってようやく見るようになったぐらいです、ですから紙ベースの本を読むのは珍しいことなのですがネットで活動をしているのにアナログな本を出すとは珍しいことをしたもんだなと興味を持ったので購入してみました、読んでみたら止まらないぐらい面白かったので色々と思ったことを書き連ねていこうと思います。
私は宣伝記事は一切書きません、本書を見れば理解できるとは思いますが宣伝記事で喜ぶのは紹介された商品を販売している企業だけです、書いていて面白い等とは思いませんし今の時代調べればいくらでも情報が手に入る時代ですから自分が思ってもないようなことを書いてもすぐに見透かされます、そして最後は自分を含め誰もこのブログを見てくれなくなるでしょう、そういう意味では宣伝記事を書き続けるビジネスモデルは終焉を迎えてきているのでは?と思えてきます。
ブログのアクセスアップという小手先レベルの話ではない
本書を買った最初の目的一つに単純にブログのアクセスアップノウハウを手に入れたいと思って買ったのですが内容はインターネットと現実の現状と未来予測が書かれておりアクセスアップとかそういう小手先や小さなレベルではなくもっと大きな本流の流れがどう変わるのかを予想しています、本流に乗ればもっと高みを目指しているのではと思うところがあるのである意味では高次元的な意味でアクセスアップにも繋げられる可能性はあるのではと思います。
実は読んでみると自身と結構同じことを考えているんだなと思うことが山ほどあり読み終わった時にはGIGAZINEに対する見かたががらりと変わりました。
新聞、書籍、TV等結構ズバズバ切っていてるのでそこまで言っていいのかなと最初は思ったのですが、正直ベースでものを話さないとタダのプロパガンダや宣伝となって意味がないのでそういう意味では当然といえるでしょう。
ソースの信頼性と・・・
ネットの情報は信頼性が不可欠で何を言ったかというより誰が言ったかが重要になっているように感じます、信頼性のおける人の発言は引用されやすいということですが信頼性を上げる意味では顔や本名で発信するというのは絶大な効果があるのかもしれません、このブログもそうなる日もそう遠く無いのかもしれません。
獣と人
初期に書いてあることはネットを使う側の人(本書で言う知識ではなく知性を持った人)なら誰もがそうだなとうなずく内容から始まっています、そしてネットを活用する新世代と活用できない旧世代、デジタルネイティブは実は有効に使えていない現実があるということ、それから導き出されるのはネットを使うにも使われると使うがあり(私はこれを知識×考える力=実力と表現した)それは義務教育で決まってしまうという考え方をしており現状の勉強は知識=実力となっていて社会に出たら知識だけで仕事はできない現実と矛盾していることを批判しています、私も小学生の時に可能性を否定されたときに絶対に違う!これはおかしいと感じ疑問に思っていましたが社会に出てから思っていたことは間違いではなかったとハッキリ理解しました、自分でいうもの何ですがよくその年でおかしいと気づいたなと思っています。
知識というものは無尽蔵に転がっています、自分みたいなお馬鹿な地方高校卒業した人間ですらネットさえ使えば知識などいくらでも手に入る時代なのです、だけどそれを知っただけでは意味はなくそれらを見て考えて新しいものを作ったりシステムに取り込んで運用したりして初めて知識が知恵になるわけです。
こう思うのは昔本書でいう獣(物事を直感的に好き嫌いで判断する人)だったことがあるからです、今でも獣である部分は一部ありますが知性を付け人として歩みはじめています。
人は経験しないものはわからない生き物です、例えWikipediaに書いてあっても実際に体験しないと真に理解はできないのです、ニートという言葉ができる前にニートをしていましたし、社会人になってもニュー即に入り浸り獣となりはてた時期もありました、ですが今はそれもいい経験だと思っています、経験したことによりそれらがやるべきことではないことを肌を持って感じることができたからです。
逆に経験しても身につかない人もいます、私は車を滅茶苦茶に弄っていますがそれに対して俺も昔はそうだったが一過性の趣味ですぐに飽きるから意味がないよといった先輩がいます、意味が無かったことを理解しただけでもそれは得たものがあったと私は思うのですがその先輩は全てを否定していました、しかしそれは自身を否定しているのと同じであると考えます、残念ですがその人からは覇気を感じることはできません。
今の私は新世代を憂う旧世代の理解ある上司と今も東京のどこかで頑張っている強く生きる心をくれた恩師が私を獣から人へと引き上げてくれました、今はまだ恩を返せる程の力も余裕もありませんがいつかは恩を返したいと思っています。
追っていたものを抜かしたその後、新しい価値観
高度経済成長期を経て一度高みに達した日本は追うべきものを見失いました、今までは誰かの背中を追っていればいいだけでした、車が欲しい、一戸建ての家が欲しい等そういった簡単な夢が描ける時代があったのですがそれも過去の話です、今は高みに達した次の段階、そう、新しい価値感を作り出さなければいけない時期に来ていると思っています、消費は美徳などというものはもはや過去の産物でしかありません。
本書ではワークシェアリングやベーシックインカムといった現状の拡張的な考え方や共産主義的な考え方と違う未来の働き方の可能性を提示しています、それはファンのパトロン化という形です、そしてそれを実現するための少額決済システムを本書ではPayPalが現実的なところにいるとと書いてありましたが、私自身はそれを入り口としていいね!システムを出口にできれば面白いかもしれないと思うところがあります、ただし現状では只の思いつきでしかなく現実的ではなりません、しっかりとした設計が描けるのならある意味チャンスになるのでは思っています。
ただファンのパトロン化が前提ですからそれが実現する確信がないと意味がありません、残念ながら私自身はファンのパトロン化については確信を持てずにいます、しかしニコニコ動画や問題解決サイトではポイントを使って支援するシステムがありますので可能性としては閉ざされているわけではないというのも理解しているところです。
そもそも本書ではネットありきで話をしているのですがネットを使わない人はすでに論外というのか?という疑問が出てくると思いますが答えはたぶんYESだと思います、それは大小問わず使える人と使えない人で差が開いている事実が露呈してきているからです。
特に顕著に表れているのはネットショッピングだと思います、情報もなく買うと失敗することが多いのですがネットで下調べをすれば失敗することが少なくなります、メーカーは良いことはいっても悪いことは絶対にいいません(嘘は論外です)、ネットには実際に使用したユーザーがレビューを上げていますからそれで多くの判断ができるわけです(故に私は良いところも悪いところもハッキリ書きます)。
旧態依然としている人は一億総白痴化の犠牲者
一億総白痴化の話については完成されたといってもいいのではないでしょうか、旧態依然としている人はまさにこの一億総白痴化の犠牲者と考えます、そしてそういう人とは必ず溝ができてしまいます、一番近いところでは父親との言い争いの原因となっているわけですが、ゲームをすると精神がおかしくなるとか、PCばかりしているとモンスター化するといっています、しかし全てTVというシステムを通してマスメディアがいっていることの受け売り(TVというシステムが悪いというわけではない)でそれが真実かどうかまで検証はしていないし考えてたり疑うことをしない思考停止に陥っています、そして当の本人はだらだらとTVを見ているのですがインターネット得た知識を生かし何かしようと切磋琢磨しているのとどっちが生産的かは誰が見ても分かるとおもうのですが・・・
インターネットはある意味一億総白痴化から救ってくれた救世主ではあるのですが全て海外の技術です、この頃IT関係で出てくる製品の多くが海外からのものなのですがそれすら敵として見なしているのには正直呆れてしまいます、自分達で負けないものを作ろうという発想は見えてこないのでしょうか、自分から見ればいいものなら乗っかればいいだけのことで済むのに、結局身内で騒いで結果日本は置いてきぼりにされている現状を至る所で見るに恐ろしい結果をもたらしてしまったと思っています。
旧態依然とした人が結局自分の退職するまで、任期が過ぎるまで会社や組織があればいいという考えでやっているからだと思っています、そういう旧態依然とした人がいなくなるようにしないといけないのですがそういう人ほど高い権限をもっている権力者であったりします、だから私は旧態依然としたシステムを破壊する必要性があると思っています、そう人が世代交代で消滅するのは分かるのですが遅すぎます、今なら破壊後に再生できる種もまだ十分にありますから何もない野原に芽が生えてやがて森へと成長することができます、そしてその中でいち早く芽を出したものには世界に羽ばたく程大きく成長出来る可能性が待っていはずです。
一番恐ろしいのは種すら残らず不毛の大地へとなってしまうことですから早きに越したことはないと思います。
まだ始まってもいない
インターネットによる激動の波が人の意識を変えていっています、未だにパソコンを一般人が使い始めて半世紀どころか四半世紀も経っていません。
ネットの時間は早くそれに身をさらす人は急加速で進化していますが現実のルールは旧来のシステム用に運用されています、そして両方の差がますます広がっていつか目に見えて分解するときが来ます、それを契機に知性を持った人がシステムを運用するように切に願っています。
タイミング良く日本が破綻しそうな状況に差し掛かっています、これをピンチととらえるかチャンスととらえるかでこの先の人生を大きく左右することになるかもしれません。
そう、まだ失望するには早いのです、全て破壊されて何もなくなってもその先があります、かつて戦争で焼け野原になった大地に今は立派に成長した国が建っているではありませんか。
届け・・・
世界はあまりにも大きく1人の力では動かすことはできません、しかし訴え続けることにより賛同する人が出てくればいつかそれが波となって押し寄せるのではないのでしょうか、だから実現するための行動が分からなくてもこうあるべきではないのだろうか?と訴えることは大事なことだと思います。
理想主義的だといわれることもあるがそれは必要なことです、理想とは方向性であって目指すべき場所を明確にすることです、そして現実と理想の狭間で落とし所というものが様々な要因の中で生まれてくるのではないでしょうか。
最後のピースがそろう時、それは私自身が生きてない未来の世界の話かもしれません、もしかしたら永遠に訪れない可能性もあるかもしれません、しかし私が生きている間に起こったのなら個人が幸せになれる世界の到来をを全身全霊をもって祝いたいと思っています。
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