YouTube


最近ではYoutubeの広告もあってか、Youtuberになりたいという人も増えてきたように思いますが、Youtuberの実態や、今後のYoutubeを取り巻く環境はどうなるのかという部分には、あまり触れられていないように思います。

Youtuberとして活動している人で、Youtubeで得られる収入だけで生活している人は、数十人程度しかいないと言われており、それらの人の話はうわさ話程度にしか表に出てこないのが現状です。

しかし、Youtubeで活動しているYoutuberの圧倒的多数は、Youtube以外の収入源で生活をしている人々であり、私も例外ではありません(ちなみに私は会社員です)。

そんな、弱小Youtuberとして普段語らない生々しい部分も含め、今回はYoutubeの今後を推測してみることにしました。
 
●YouTubeに可能性(チャンス)はあるのか

今、はっきりと感じるのは、YouTubeに可能性(チャンス)は大いにあるということです。

その根拠は?と問われると、今だYouTubeの中は戦国時代まっただ中で、勝ち負けがはっきりしていないジャンルが数多くあり、ある一定のジャンルを強く攻めればそのジャンルのトップになれる可能性が高いからです。

歴史を紐解くと、チャンスが最も高い時期というのは物事が移り変わるときです。石油ランプやろうそくが電球になったときも、馬が自動車になったときも、それまでの物事や常識ががらりと変わり、新しい業界や市場が開拓され、そこで成功した人が後世に語り継がれています。

大小問わず身近なところでは、iPodに始まりiPhone・iPadという新市場を開拓したApple、ネットではブログ戦国時代にブログメディアとして一国を築きあげたGIGAZINEもそれに当てはまると思います。

そして、今、まさにWebメディアが移り変わろうとしているときなのです。ホームページ形式からブログ形式に、そしてブログ形式から動画にWebメディアの主流が切り替わろうとしている最中である今、ある程度開拓はされましたが、YouTubeに可能性は十分に残っていると感じます。


●成功する人の要素は「何かが欠けている人」

では、どうしたら後発でも可能性をつかめるのか?という点ですが、そこには、人の性格に起因する部分が大きく占めていると感じます。

少し話は変わります、最近の広告では「面白いことで生きていく」というテーマのもとYouTubeがWebでCMを流していますが、この言葉はある意味YouTuberの真理でもあるのではと思っています。

はっきりと言いますが、YouTuberは基本的に浮世離れした人が多いです、酷い言い方をすれば「社会に馴染めない人」ともいえます(ひどい表現で申し訳ない)。

日本人は儒教のせいか、出る杭は打つという考え方が浸透しており、浮世離れした人に対しては酷くあたることが多いように思います。

普通であること、周りと同じであることを常に意識して、個人としてではなく、集団の一個体として考え方に固執しすぎるあまり、保守的に構える人が圧倒的多数を占めているからではないでしょうか。

最近では、10~20代という若い人ほどその傾向が強いということを知り、柔軟性に富んだ若い世代が、多様性を失っていることに驚きを覚えました。

ただ、普通の人の当たり前の生き方を私は批判する気はありません。幸せという価値観は自分自身が決めることです。もちろん、それは浮世離れした人でも同じです。

しかし、浮世離れした人が社会に馴染めないからといって叩く行為はあきらかに間違いだと思います。歴史の偉人や、社会のためにと立ち上がった大手企業の創業者を見ると浮世離れした人ばかりです。

地動説も、万有引力も、今では常識と言われていることが、それまでは異端として非難されていたのです。石油ランプが煌々と明かりを灯していた時代に、誰が電球を欲しがるなどと思っていたでしょうか。

こういった、常識を疑ってかかる、常識をとらわれない発想こそが、新しい物事を切り開く活路となることを歴史は教えてくれます。

そして、常識を疑ってかかる、常識にとらわれない発想こそが同時に人を惹きつけることにも繋がります。それは、芸能界という異質な世界で活躍している人もまた、浮世離れした人だからです。

芸能界は生活のために仕事にするには、決して安定した世界ではなく、面白くなければ舞台から姿を消す厳しい世界です。

そんな世界に入り活躍している人たちは普通の人では務まりません。日本全国から面白い人を集めた中で、とびきり面白い人のみが残れる厳しい世界です。

しかし、同時にその世界を面白くも、羨むような目で彼らを見る普通の人がいるのではないでしょうか。

少し話が大きくなりましたが、YouTuberとして成功する秘訣の1つは「浮世離れした人」ではなかと思います。

私個人としては、浮世離れした人のことを「何かが欠けている人」と表現しますが、何かが欠けているから、それを埋めようと、必死に何かに取り組むことができる人でもあるということです。

言い忘れていましたが、かく言う私も「何かが欠けている人」です。社会に出て矯正されたため、ある程度調和を取ることを覚えましたが、根本的な思想体系は変わっていませんから、回りから変な人や面白い人等と呼ばれています。


●「好きなことで生きていく」

では、何かが欠けている人だったら誰でも成功するのかというと、それは早計です。この世の中、努力をしたからといって、必ずしも成功するわけではありません。しかし、成功している人はすべからず努力をしています。

毎日動画を公開する人、ハイクオリティな動画を公開する人、凝った内容の動画を公開する人など、それらは努力無しにできたものではありません。

「面白いことで生きていく」という言葉を、「楽をして生きていく」と勘違いし、何も考えずに撮影した動画で稼げると勘違いしている人もいるようですが、YouTubeはそんな世界ではありません(もちろん一般社会もそうですが)。

とある雑誌で「動画を作り投稿するのは楽だからユーザーが増えている。」という記事を見て、一瞬「は?」と突っ込んでしまいましたが、良く読むと、スマホなどのIT機器の進化で簡単に動画が撮影でき、それを投稿することができるからと書かれていたので、確かにそれなら誰でも簡単にできると納得しました。

しかし、私が「は?」と突っ込んだのには理由があります。たった数分という動画を作るために費やす時間は短くとも十数時間、長いときでは20~30時間費やすこともあります。

もちろん使う機材も吟味し、一般の人が使わないような機材を数多く使用し、常にクオリティを上げるために編集や映像の勉強をしながらです。私の動画ではそれが当たり前になっているので、簡単に作れると思われていることが信じられなかったのです。

何故、そこまでするかというのかというと、誰でも作れるような動画には、誰も興味を示さないからです。

YouTubeの動画に求められていることは「非日常」であり、普通の人が日常では触れられない世界を感じたいがため見ているのです。

ですから、日頃から努力を惜しまないことが成功の秘訣といえますが・・・、ここには重大な勘違いもあります。

私は動画を作る作業を努力だとは思っていません。好きだからやっているだけであり、その時間を楽しんで過ごしています。

先ほど出た「面白いことで生きていく」というのはある意味「好きなことで生きていく」ということでもあります。

動画を撮影して編集し、それを公開する。新しい表現を求め、必要と思う機材があれば迷わず買って試し、分らないことは先人に習う。それが全て好きだからやっていけるのです。

それは同時に見返りを求めないということでもあります。

人は本能的に欺瞞を見抜きます。お金や権威を求めるために好きでもないことをやっている人を見ると、人は本能的にそれを察知するようにできています。そして、面白くないものは長続きしません。

ですから、YouTuberとして動画を公開していく行為、また、それらに至るまでの行為が好きでないと長続きはしません。

もし、YouTuberとして動画を公開していくまでの行為を楽しんでいるのであれば、勝機はあると思います。一緒に楽しみましょう!


●YouTubeはアマチュアリーグ

2014年はある意味メディアの転換点でした。とある調査で、個人がTVよりもネットに使う時間が多いという統計調査が出たからです。原因はおそらくスマホやタブレットPCの普及によるものだと思います。

何故こんなことをいうのかというと、YouTubeの中だけをみていると、YouTubeを取り囲む全ての環境から来る新しい流れを読み取れず、知らぬうちにうちに流れが変わってしまい、気がつけば傍流になる可能性があるからです。

先ほどのTVとネットの件では、人がYouTubeを含むネットに費やす時間が増えたということで歓迎すべき事なのですが、それはTVというメディアが無くなるというわけではありません。

今日、企業がネットの広告に対して支払う金額は年々大きくなっていますが、規制に守られ限られた人間のみで構成されているTV業界とは違い、ネットは数多く参入者がいるため、1人当たりで割る計算だと金額は小さくなります。

しかし、TVは違います。キー局クラスだと年収1000万の社員もごろごろいますし、人気芸能人の収入はさらにその上を行くでしょう。

それらのお金は、全て広告収入が主な原資となるわけですが、そこで動くお金はとてつもなく大きな金額なのです。

仕事柄、地方局の方々と接する機会がありますが、その生活は煌びやかというほどではないにしろ、一般的なサラリーマンよりは裕福だと感じます。

TVとはそれほど大きな広告産業であり、そこで動いているお金が大きいため、影響力もクオリティもYouTubeの動画よりも高いのです。

TVがプロリーグだとすれば、YouTubeはアマチュアリーグというぐらい、そこには大きな隔たりがあります。

しかし、YouTubeはアマチュアリーグだということに落胆する必要は全くありません。


●メディアの価値

TVは、今、大きな問題を抱えています。それは視聴率の低下です。

ネットのおかげで、人々は数多くの趣味を知ることになり、趣味・趣向の細分化が一気に進みました。

それまでは、雑誌やTVといったメディアから一方的な情報しか手に入らず、皆、同じことで盛り上がっていましたが、ネットにより趣味・趣向の細分化が一気に進んだ結果、TVはそれら細分化された趣味・趣向全てに対応できなくなりました。

結果、視聴率は下がり、すべての番組ではないものの、聞けば最盛期の半分にまで落ち込んでいるようです。

これは、今まで1本CMを打っていたのを2本打たないと同じ効果が見込めないということになり、費用対効果でいえば倍のコストがかかるようになったことになります。

結果、ネットユーザーが増え、影響力が大きくなった結果も相まって、広告を打つスポンサーもネットへと緩やかに進出してきました。

これには、ネットの広告配信システムの整備と、効果が数値化できないという旧来の広告システムに対する不信もあったと感じます。

しかし、注目すべきは、スポンサーがネットに目を向けたということよりも、その大きな体を支えるため、TV局が細分化された趣味・趣向に対応できなくなっている状態です。

収益がある程度見込めるジャンルにしか注力できない、そして、TVをリアルタイムで観る割合が多い時間帯は、1日のなかでゴールデンタイムという限られた時間帯でしかないということが、今のTVというメディアの弱点です。

しかし、YouTubeはどうでしょうか。個人の趣味で、収益性など考えずにやっている人が多く、細分化された趣味・趣向に対応できるほど多くのジャンルのYouTuberがYouTubeには数多くいます。

TVが扱うことができない小さな市場やジャンルでも、果敢に攻めていけるのがアマチュアの良いところです。

スマホがあればいつでも観られますし、チャンネルの数が星の数ほどある点も、TVに対して圧倒的に有利だといえるでしょう。

ですから、TVが扱えない細分化された趣味・趣向を持っているのであれば、YouTubeでチャンスをものにできる素地が大いにあるわけです。


●これからのYouTube

YouTubeは細分化された趣味・趣向にマッチングし、TVは集約化している趣味・趣向にマッチングするという形で、今後も上手く棲み分けしていくと予想しています。

ただし注意しておかなければいけないのは、寡占化です。

先ほど上記したとおり、TV局は収益の悪化を受けています。そして、業績が悪化すると、下請けにまでその影響が出てきます。

TV局の番組は全て内製ではなく、制作会社という下請けに番組をつくらせているものもあります。

キー局向けの番組では、1番組の映像を編集するのに、100人以上の番組編集スタッフが徹夜で取り組み制作するほど、ハードな環境だといわれていますが、キー局とちがい下請けにはそれほどお金は流れていないようで、制作会社社員の年収はキー局の1/4程度と大きな開きがあります。

下請けにもっと安く納めろといわれたら、リストラや効率を上げるため、業務がよりハードになる可能性があります。

最悪、その連鎖で人も会社も潰れる可能性もあるわけですが、業界から退いた人達の行く先がYouTubeという可能性も十分に考えられます。

その流れが加速すると、YouTubeなどで活躍する動画製作会社やタレント事務所ができ、TV業界と似た構造となり、結果、寡占化が進む可能性があります。

その流れは、すでに見えないところで始まっている可能性があります。例えば、人気のYouTuberが集まってできたUUUMや、TV業界から進出してきた吉田正樹事務所は、その流れの始まりなのかもしれません。

この流れが加速するには、TV業界ほどではないにしろ、事務所の人間を養うほどの高い収益性が見込めることが必須条件ですが、今後、ネットに対する広告費も増え収益性が上がる可能性は十分にあります

何故なら、ほとんどTVしか観ない世代が消え、TVよりもネットに使う時間が多い世代が増えてくることはすでに予見できることであり、それに呼応してネットに対する広告費の割合を増やしてくることは間違いないからです。

もし、この流れどおりになり、寡占化が進んだら個人のYouTuberはやりにくくなることは必至です。ニッチなジャンルのみでしか、個人が活動していくことしかできない世界になるわけですから。

もしも、そうならったら、どのように動くかはすでに決まっています。可能性があるなら事務所に所属し、その力を最大限に活用することです。

ともあれ、YouTubeだけでなく、それに係わるものの流れに注目すれば、今後の舵取りも上手くいく可能性が高いと思っています。


●さらにその先へ

この世の中のメディアは、時代と共に変わってきました。新聞等の活字からラジオの音声へ、そして映像を加えたTVから革命的なネットというメディアへ変わってきました。

YouTube自体の人気も、新しいメディアの登場で変わっていくことも十分にあり得ることで、ネットの世界ではあっというまに業界図が書き換わることも珍しくありません。

ネットに次ぐ新しい革命的なメディアの登場も、大きく業界図を書き換えることでしょう。ですから、多くのユーザーが観ているから大丈夫などと、今の状態に安堵しているのは間違いです。

もし、そのようなメディアの革命ともいえる事象が起こった時、頼りになるのは何なのか?

とあるゲームで主人公が最後に語った「危急の際、頼りになるのは自分自身だけだ。」という言葉が今も頭に残っていますが、まさにその通りだと思います。

個という存在は柔軟性に富んでいる代わり、大きな流れに逆らえるほど力はありません。常に流れを読み、知識を吸収し、新しい価値観を認めていくことが、頼れる自分自身への道ではないかと感じます。

しかし、現代人は時間も無ければ、知識を多くを取り込めるほど余裕が無いのも確かです。

先ほどのゲームの話で、主人公は最初にこうも投げかけています。「何を犠牲にする覚悟があるのか。」と・・・。

それは、到達したい目標のため、それ以外のものを犠牲にする覚悟があるのかと問うているわけですが、それが成功への秘訣ではないかと最近感じ始めてきました。

能力さえあれば独立して生きていける「個人の時代」が到来してきた今、常識や日常を全てではないにしろ、ある程度犠牲にすることで、チャンスはより大きくなるのではと感じます。

何かが欠けている人であれば、それはすでにできている可能性があるため、より大きく欠けるようになればなるほど、成功へと近づくのではないでしょうか。


●最後に

ともあれ、YouTubeでチャンスをつかむことはできると感じていますが、大きく成功しようと思えば、それなりの犠牲に対する覚悟が必要だとも感じています。

それが無理だと思うのであれば、手を出さず、自分が面白いと思ったことに注力すれば良いだけなのです。どのような生き方であれ、その生き方が幸せだと感じるなら、それが自身の正しい生き方だと私は思っています。

しかし、必要以上に怖がることもありません。試しに動画を投稿してみるだけなら犠牲にするものは僅かな時間だけです。

何が受けるか分らない世の中ですから、もしかしたら新しい世界への扉が開くかもしれません。

私個人としては、このまま一緒に楽しんでくれるユーザーと共に、このチャンネルを盛り上げていくため、今後も知識と技術を向上させつつ、お互いに楽しめる動画を公開していくのみです。

最後に、私を支えてくれる多くの人々に感謝を。ありがとう。