Laineema Paradigm Purge


この頃気にしているのが器用貧乏についてですGoogleで器用貧乏について調べていたところ器用貧乏判定という気になるコンテンツを扱うサイトがありましたので受けてみたんですが判定結果は64%でした、当たっているなと思う判明どうにかしないといけないと言う想いがさらに深まりました、そこで器用貧乏を卒業するためには「こうすべきではないのか?」という考え方で再度受けてみたのですが51%と言う結果が・・・・これには唖然としてしまいました、あまりに酷い染みつき具居合いで思っている以上にもっと真剣に考えるべきことであるとまざまざと見せつけられました。

器用貧乏の何がいけないのかという点についてですが、公私二つの視点から見ても将来性が無いという点です。
器用貧乏とは多数の物事を粗忽無くこなすことが出来ることを指します、私で言うと車は足回りの交換ぐらい出来るしヒビ割れたエアロやこすった位の傷なら修復出来ます、電気にも精通していて自作パソコンも出来れば車に積むパソコンも手がけました、車にカーテシを追加したり前の記事みたいにメーターも取り付けが出来ます、DAWの世界にも足を突っ込みましたしDTVをやっていたので友人の結婚式でお披露目する映像も撮影や編集を任されました、カメラを持てば構図が良い線行ってると言われDTPにおいてはその能力を買われ一時期仕事でPOPやシールのデザインをしていた時期もありました、パソコンは早いうちから趣味としてましたので小規模ネットワークの構築からパソコンのハードとソフト両面のメンテナンスや効率の良いシステムの投入や提案などもしました。
あえてくどいぐらい書きましたがこれだけ自分一人でこなせ人に凄いと誉められるのですが何一つ一流に達しないという点が問題なのです(ここにあげていないのですが他にも沢山手を付け飽きて放り投げた部分が多々あります)何をやっても粗忽無くこなすからすぐに飽きてしまい何をとっても極めることが出来ない二流者でしかないのです。

そこに未来があるのかというと私には公私ともに無いと思います、仕事においては上司や先輩に便利が良いからといろんな部署から引っ張りだこにされますがどの部署においても便利屋さんの扱いで仕事の一部のみを任されるだけに留まりその仕事の本質を見いだすことは出来ません、彼は良くやってくれるからと仕事の責任者になったときに本質を理解していなければどのように物事を進めていけば良いのか理解に苦しむことになります(というかなりました)、そのことからだいたいの器用貧乏は自分の能力以上の仕事を任されていると思っているのではないでしょうか。
器用貧乏が独立起業なんてもってのほかです、全てに二流の者が一流に対抗出来るわけがありません、一流とは物事をひたすら極め続けた者に与えられる称号なのです、二流に与えられる仕事はどうでも良い部類の仕事でしかありません、すなわち誰でも出来る仕事であり結果沢山のライバルの中で勝ち残らなければなりません、おそらく殆どが価格競争へと発展していき体力のない会社は結果潰れます。
私事においては他人に時間を裂かれ自分のことが出来きず、趣味においても突き詰めていかないため限界が低く長続きせずいろんなことに投資しては散財を繰り返します、他人がとことん趣味を突き詰めていく様をみて凄くうらやましく感じます。

このような結果、私御無二ノ明夜は器用貧乏は不幸であると考えます。
そこで悩むだけでは物事は解決しませんので考え、今やっていることと今後やるべきことをリストアップしました。

物事の本質を見抜く能力を身に付ける(これは手段なのか目的なのかといったこと)
物事を本質に照らし合わせ判断する(本質に対し正しい答えであるかを考え判断する)
中途半端な能力や物事を切り捨てる(10あるものを9捨て一つのことに専念する)
個人のためではなく組織の未来のために動く(目先のことで個人を喜ばせるのではなく組織を良くし結果沢山の人が喜ぶことを考える)
孤立と非難を恐れない(揺らぎない確固たる個を確立する)

この考え方を持ち再再度器用貧乏判定を受けたところ28%まで低下しました(下がったもののまだまだ考えが足りません)。

器用貧乏は個の喪失を生みます、そこに未来はありません人も物も付いてきません、今自分がこのように考えられるのも、器用貧乏で今後伸びず未来が失われることを心配された上司による救済があったからです、おかげさまで私の石炭のような燃えにくい心に想いという火を灯してくれた人生において忘れることの出来ないすばらしい方にもお会いすることが出来ました、もし読者の中に管理職や人事、経営者がおられましたら報われない器用貧乏を助けてやってください、それが会社の未来のために繋がると私は確信します。